子どもへの告知
医療関係者の方々が「親ががんになった時、子どもへの告知」というようなテーマで勉強会を開くらしく、体験者として参加するお話を引き受けた。
私は当時、小5・小2の娘たちにがんであることを告知。憲宗には絵カードで、私が病気になったことを伝えた。
今でこそ過ぎたこととなっている感じがあるが、当時は「がん」のふた文字に敏感だった娘たち。
いや、当時とは反応の仕方が違うだけで、今だって敏感ではあると思う。
金髪にしたのは治療後の薄毛カバーになるよねと、美容師さんのアドバイスを受けてのこと。
お調子者の私は即決。
気分転換にもなり十分楽しんだけど、黒髪に戻すことを子どもたちは許してくれない。
思いだすんだろうなー。
寝込んでる母親の姿を。
そんなこんなで、時にアッシュに染めながら過ごしている40歳。
もう4年。
自分でもがんだって事は忘れている時間が多く、そもそも「仮病だった!?」って言うくらい、今は元気に過ごしているが、真面目に検査は受けております。
それは、私や私の家族を支えてくれた周りの人たちへの感謝の表れと言うのが正直なところ。
高校時代のバスケ部は、まるでチームのように役割分担をしてくれた。
ママ友たちは子ども3人まるごと自宅に泊めてくれた。
それぞれの生活も仕事もあるのに、決して楽なことではなかったと思う。
近所の人、先生たち、たくさんの人に支えられての治療生活だったから。。。
家族がいなければ治療なんかしなかっただろうし、支えてくれる人たちがいなければ、生活は崩壊していただろう。
「生かされている」
本を開くとよく見かける、この言葉。
実は何度読み返しても、その意味が今一つわからなかった。
これかー!!
と、心が納得したのはがんになって、みんなに支えられて「生かされた」から。
人間、一人では生きていけないんだと強く感じた日々。
あ、子どもへの告知の話だったっけ。
北斗晶さんの子どもたちへは、旦那さんんの健介さんがお話したようですね。
晶さんのブログには、健介さんを想う気持ちも書かれていました。
実際、闘病する本人も辛いけれど、支える家族も大変で、どちらが楽だなんてことはないんだと思う。
北斗晶さんだけでなく、今現在も闘病中の方々やその家族が、明るい未来を手にすることができますように!!
さて、打ち合わせまでに資料をまとめなくちゃ。
手帳を開き、あの頃を思いだす。
震災のあの年。
あの3月。