⑦ 術後
看護師さんの声で手術が終わったことを知る。
酸素マスク。体のアチコチに上からも下からもチューブが入っているのがわかるが、そのまま深い眠りに落ちた。
目が覚めたのはいつだろう。
私は一人だった。
この入院はほんの数人の友人、知人にしか伝えていなかったし、夫に仕事を休んでもらうことは私自身が望まなかった。
この病院のケアが完璧だと、過去三度の出産で知っていた私は何の不安もなかった。
T先生は事情を察して、家族が付き添わないことを深く聞くこともなく、黙って頷いてくれた。
ベッドサイドの電話が鳴り、看護師さんが受話器を取ってくれた。夫に手術が終わったことを知らせるのだが。。。
力が入らない。
さっきまでチューブが喉に入っていたせいもあり、声が出ない。
やっとの思いで
「後は。。。傷の痛みは日薬だから。。。」
と伝えたら
「えっ!? 胃薬?大腸なのに胃薬?」
と、騒いでいる夫。
日薬知らんのか?
面倒くせ。説明する気力もなく「じゃぁ」っと、電話を切った。
一人で手術を受けて良かったー。
そばにいたら、もっと面倒だったかも。
⑥ いざ、大腸手術
「僕が切るから」
そう言ったかどうか。
でも、私の記憶にはそう残っている。
そんな感じで、突然現れたT先生。
『完璧に切ります。切っちゃいます。』と、見てるだけでわかってしまう、そんなドクターだった。
医者医者した感じがないので、私も患者患者しなくて良いのが楽だった。
そうして今や、歩いて手術室まで行く時代。
手術室のドアがずらりと並ぶ廊下を歩き、まるで火葬場だな尻込みする。
中に入ると、すぐに手術台へ。
「えっ!?狭くね?」
驚きの狭さ。
家の父ちゃんもこれなの?
曙も?
猪木も?
手術中に、落ちたりしない?
その答えは知らぬまま。。。
「よーし、頑張るぞー。」
なんて思いましてね。
『武田さ~ん、終わりましたよ~。』
ってその間、約2秒!
確か5時間はかかったはずの手術、麻酔の力って凄いのね。
⑤ 賑やかな病室
子ども達を児童養護施設に預け、なだれこむ様に入院。
その日の病室は術後の患者さんや看護師さんの出入りが多く、挨拶をしそびれてしまった私。。。
「奥の女学生さんは、どうしたの?」
と、病室が落ち着いた頃、澄んだ声が聞こえた。
これって間違いなく私に言ってる。。。
カクカクシカジカ、私は女学生ではないことも含め説明した。
そうして、同じ大腸がんってことで盛り上がる(笑)
澄んだ声の女性は、料理屋の女将さん。
どおりで声が通る訳だ。
「人はがんでは死なないわよ。寿命で死ぬの。」
と、スッパリ言ってのけていた。
もうひと方、超ご高齢のご婦人は「(亡くなった)主人がね、まだ来るな。まだ来るなって、夢で言うの。」と。
なんてあったかいお話かと思いきや、「隣にね、知らない女の人がいるんだから、あちらでよろしくやってるのよ。」と、笑っている。
こんな若造ではどうしたって真似できない。年齢を重ねるって素晴らしい!
取り敢えず握手してもらう私(笑)
そこに後日入院してきた70代現役美容師さんが加わり、大腸がんの女4人は、とにかく毎日賑やかに過ごし、退院後は女将さんに漬物を習ったりしてね。
漬物ってなんて素敵な食文化なのだ~(* ´ ▽ ` *)ノ
④ 大腸切除 決定
内視鏡で切除したがんの組織検査の結果が出た。
リンパ転移はないものの、根が深かったらしく断端検査の結果が陽性だった。
大きな心配はないが、やはり気になると言うМ先生。
「大腸を切除したほうが再発率がは下がりますが、手術なので体には傷が付きます。」と、М先生らしい気遣い。
私には一つだけ気がかりなことがあった。
「先生、私が気になっているのは、この若さなんですけど。先生ならどうしますか?」
この時、私は36歳。
がん患者としては、間違いなく若い。
うなずきながら聞いている先生。一瞬どこかを見つめ。。。
「うん。僕なら切ります。」
その一言で決まった。
「それじゃ、先生、夏休みに。」
と、答えると焦る先生(笑)
「えっ!?良いんですか??」
出来るときに出来ることをしないで、後から皆に迷惑をかけたくはない。
先生なら切るって言ったじゃん(笑)
なーんて余裕のあるように見える私だが、入院は7日~10日とのこと。
頭の中は子ども達をどうすれば良いのかと、そればかりぐるぐると巡り、診察を終えた私は、そのまま家へ帰らずに児童養護施設へ向かった。
③ 内視鏡手術
子ども達を知人にお願いして、1泊の入院。
ラッキーな事に腕の良いM先生に診てもらえた私は、前回の内視鏡(大腸カメラ)で何の苦痛もなかったため、今回の内視鏡手術にもなんの不安もなかった。
そうして、悪性腫瘍の大きさや私の生活状況を配慮して、入院しての手術だった。
リラックスした状態で内視鏡での切除手術。パチンコ玉みたいなポリープを見て、頭の中で軍艦マーチが流れているうちに手術は終わった。
麻酔でぼーっとしている私を迎えに来てくれたのは、偶然にも顔馴染みの看護師さん。
初めて大腸カメラ検査を受ける私に、まるで母親の様に、検査食の作り方を教えてくれた彼女の顔を見ると、ホッとした。
「まん丸のポリープだったの」と、私が言うと、「それは良かった。いびつな形よりもきれいな丸の方が、なんだか気持ちが良いじゃない。」
そう言って、二人で笑いながら病室に戻った。
この日も次の日も、日ごろの寝不足を補うかの様に私は昏々と眠っていた。
数年ぶりに自由な時間が出来るのだからと、抱えて行った本には全く手を付けることも出来なかった。
自宅に帰ると、知人が子ども達を連れて来てくれた。
一晩離れると言うことをきちんと伝える事が出来なかったため、胸いっぱいに不安を抱えた幼い憲宗の頭には、円形脱毛症が出来ていた。
ごめんね。。。
後日行った床屋さんでは「お兄ちゃん、心配事があったんだねぇ。」と言われ、私の胸はチクッと痛んだ。
② ドクターからのがん宣告
元々予約を入れていた35歳の健康診断。
実はこの年、私は精神的に不安定な憲宗から離れられず幼稚園に付きっきりで登園し、何度も予約をキャンセルしていた。
「憲宗を見ているから、行ってきなさい。」
ママ友に背中を押されて年度末ギリギリ、病院へ駆け込んだ。
届いた結果は便潜血。
ほぼほぼがんだろう。
そうは言っても、とにかく大腸カメラで見ないことには何もわからないのだから、アレコレ心配したって仕方ない。
どうなるかわからない先の事を悩むより、今のことに集中、集中。
改めて検査の予約を入れ、この日もママ友に憲宗を託し、朝から下剤を飲んで病院へ向かった。
軽い麻酔をしていても、検査を全部見納めたい意地で頑張る私!闘う私!
ネムッテタマルカー。
初めての大腸カメラ。噂に聞くような痛みも苦痛もない。
そう言えば「クセになる人もいるのよ」って話も聞いたっけ。
ダメ!ダメ!
気を確かに!!
腕が良いと評判のМ先生だったと知ったのは、検査の後だった。
そうして先生が「武田さん、これが今回の出血の原因です。」と、モニターを見せてくれた。
血管が浮き上がっていて、血が滲み出ているのがわかる。
「せんせー、これ悪そうですね?」
がんならがんで、いっそのこと早く知りたかった。
この性格は子ども時代から変わらないな。
一呼吸おいて、先生が答えた。
「。。。悪性腫瘍ですね。」
2月のある朝、聞こえたあの声を思い出した。。。
すげーな、当たったよ。
① 寝ぼけ眼でがん宣告
5年前の2月は、私が「がん宣告」を受けたときでした。
でも私「がん宣告」ってドクターからされるものだと思ってたんですよね。
なのに、私の場合は
意外な奴がしゃしゃり出てきて。
まさかのまさか。
「えっ!?ドクターでもないのに!?」
みたいな。
でもこいつ、信頼性バツグン!!
絶対、ウソつかねぇ。
それは、朝、目覚めてすぐの事。
「んっ!?」両手の全ての指に、ほーんのわずかな、わずかな違和感があって。。。
その瞬間でした。頭の中にね。
『あっ、がんだな』
って。
いきなりの「がん宣告」。
目覚めて数秒。まだ顔の筋肉すら整ってないっつの。
「えっ?」
って聞き返したら。
『それかー、白血病?』
って、なんだよその尻上がりな言い方!
どっちにしろがんかよ!
しゃしゃり出てきたのは、私の肉体でした。
自分の肉体って、自分よりも自分のこと、ちゃーんとわかってるみたいで。
私も見事、がんステージⅢーaの大腸がんでしたから。
だから今も時々、聞いてみるようにしてます。
「元気ですかーーーーーーーーーー!?」って。
お気に入りの赤い今治マフラーを首から下げて。
でもね、聞こうとすると聞こえないんスよねー。これがまた。