③ 内視鏡手術
子ども達を知人にお願いして、1泊の入院。
ラッキーな事に腕の良いM先生に診てもらえた私は、前回の内視鏡(大腸カメラ)で何の苦痛もなかったため、今回の内視鏡手術にもなんの不安もなかった。
そうして、悪性腫瘍の大きさや私の生活状況を配慮して、入院しての手術だった。
リラックスした状態で内視鏡での切除手術。パチンコ玉みたいなポリープを見て、頭の中で軍艦マーチが流れているうちに手術は終わった。
麻酔でぼーっとしている私を迎えに来てくれたのは、偶然にも顔馴染みの看護師さん。
初めて大腸カメラ検査を受ける私に、まるで母親の様に、検査食の作り方を教えてくれた彼女の顔を見ると、ホッとした。
「まん丸のポリープだったの」と、私が言うと、「それは良かった。いびつな形よりもきれいな丸の方が、なんだか気持ちが良いじゃない。」
そう言って、二人で笑いながら病室に戻った。
この日も次の日も、日ごろの寝不足を補うかの様に私は昏々と眠っていた。
数年ぶりに自由な時間が出来るのだからと、抱えて行った本には全く手を付けることも出来なかった。
自宅に帰ると、知人が子ども達を連れて来てくれた。
一晩離れると言うことをきちんと伝える事が出来なかったため、胸いっぱいに不安を抱えた幼い憲宗の頭には、円形脱毛症が出来ていた。
ごめんね。。。
後日行った床屋さんでは「お兄ちゃん、心配事があったんだねぇ。」と言われ、私の胸はチクッと痛んだ。
② ドクターからのがん宣告
元々予約を入れていた35歳の健康診断。
実はこの年、私は精神的に不安定な憲宗から離れられず幼稚園に付きっきりで登園し、何度も予約をキャンセルしていた。
「憲宗を見ているから、行ってきなさい。」
ママ友に背中を押されて年度末ギリギリ、病院へ駆け込んだ。
届いた結果は便潜血。
ほぼほぼがんだろう。
そうは言っても、とにかく大腸カメラで見ないことには何もわからないのだから、アレコレ心配したって仕方ない。
どうなるかわからない先の事を悩むより、今のことに集中、集中。
改めて検査の予約を入れ、この日もママ友に憲宗を託し、朝から下剤を飲んで病院へ向かった。
軽い麻酔をしていても、検査を全部見納めたい意地で頑張る私!闘う私!
ネムッテタマルカー。
初めての大腸カメラ。噂に聞くような痛みも苦痛もない。
そう言えば「クセになる人もいるのよ」って話も聞いたっけ。
ダメ!ダメ!
気を確かに!!
腕が良いと評判のМ先生だったと知ったのは、検査の後だった。
そうして先生が「武田さん、これが今回の出血の原因です。」と、モニターを見せてくれた。
血管が浮き上がっていて、血が滲み出ているのがわかる。
「せんせー、これ悪そうですね?」
がんならがんで、いっそのこと早く知りたかった。
この性格は子ども時代から変わらないな。
一呼吸おいて、先生が答えた。
「。。。悪性腫瘍ですね。」
2月のある朝、聞こえたあの声を思い出した。。。
すげーな、当たったよ。
① 寝ぼけ眼でがん宣告
5年前の2月は、私が「がん宣告」を受けたときでした。
でも私「がん宣告」ってドクターからされるものだと思ってたんですよね。
なのに、私の場合は
意外な奴がしゃしゃり出てきて。
まさかのまさか。
「えっ!?ドクターでもないのに!?」
みたいな。
でもこいつ、信頼性バツグン!!
絶対、ウソつかねぇ。
それは、朝、目覚めてすぐの事。
「んっ!?」両手の全ての指に、ほーんのわずかな、わずかな違和感があって。。。
その瞬間でした。頭の中にね。
『あっ、がんだな』
って。
いきなりの「がん宣告」。
目覚めて数秒。まだ顔の筋肉すら整ってないっつの。
「えっ?」
って聞き返したら。
『それかー、白血病?』
って、なんだよその尻上がりな言い方!
どっちにしろがんかよ!
しゃしゃり出てきたのは、私の肉体でした。
自分の肉体って、自分よりも自分のこと、ちゃーんとわかってるみたいで。
私も見事、がんステージⅢーaの大腸がんでしたから。
だから今も時々、聞いてみるようにしてます。
「元気ですかーーーーーーーーーー!?」って。
お気に入りの赤い今治マフラーを首から下げて。
でもね、聞こうとすると聞こえないんスよねー。これがまた。
ブログのタイトル
先日、テレビ東京の密着取材を受けたことをきっかけに、私たち家族の時計の針が5年前に戻ったような感覚になりました。
気がつけば、私のブログには「子どもへの告知」以外は記録していません。
これもたまたま医療者向けにお話しする機会があったから、記録したようなものです。
日々の子育てに夢中で、普段はあまり振り返ることのなかった私の闘病について、この機会にブログにまとめることにしました。
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このブログタイトル、この言葉は憲宗が私に投げ掛けた言葉。
順風満帆に見える私の子育ては、最初からずっとそうだった訳ではない。
一番辛く苦しんだ時期に、私は笑うことが出来なかった。
憲宗もまた、社会からの差別や大人の心の歪みを敏感に感じとり、深く傷ついていた。
「社会から切り離して育ててはいけない」
憲宗の主治医が、何でも受け止めてくれるおおらかな主治医が唯一、これだけはしてはいけないと言っていた。
耳が聞こえず言葉を理解出来ないその頃の憲宗にとって、「事情」も「都合」も通らない。
理不尽な毎日に社会への不信感は日に日に大きくなった。
家から出たがらない憲宗。
「このまはまではいけない」と、憲宗を連れ出そうとする私。
出掛ける身支度を始めると、裸になって火の着いたストーブに体を打ち付けたり、走っている車から飛び降りようとしたり。。。
苦しんでいる憲宗を見ているのは、辛くて苦しくて。それを吐き出せず、目の前で起きている現実を受け入れることも出来ず、理解のない社会への怒りは私の体の中でがん細胞となった。
幼稚園に通うことを止め、自宅で過ごす様になると、憲宗は穏やかさを取り戻した。
私の膝に乗っては顔に触れ「笑って。笑って。」と目を見つめる。
そして同時に、この言葉を投げ掛けてきた。
「ボクはここにいるよ。かーちゃんはどこにいるの?ちゃんと今を生きてる?」
過ぎたことばかりがグルグルと頭を巡り、心は過去にいっていた、私。
そんな私を現実に引き戻してくれた、強い言葉。
今を生きる。
私にとって憲宗はシャーマン。
私を導いてくれるこの子から目をそらさずに、痛みも苦しみも全て味わい生きていこうと誓ってから、私の中の怒りや憎しみという感情は徐々に消えていった。
テレビ東京「ニュースアンサー」ホームページ。
オレオレ詐欺にはご注意を!!
実は最近、北海道では「オレオレ詐欺」の被害が再び増加傾向。
啓発活動の一環で、ここにアーーーーーップするのは、知人Tさんが振り込む間際まで気付かずに、すっかり息子だと思い込んでしまったという体験談です。プラス、武田家の体験談も是非とも今後の身を守る参考にして頂ければと思います。
身近な人の、普通の一言がこんな展開になってしまうだなんて、驚きでした。
Xデー。 自宅の電話を取ったのは、Tさんのご主人でした。
Tさんが電話を変わると、受話器の向こうの『息子』から
「意気投合した女性と一晩遊んだら妊娠させてしまい、彼女が仕事を辞めなくてはならないからと弁護士を通じて300万を請求された。こちらの弁護士が150万で和解出来るように話をつけてくれたから、どうかお金を貸してほしい」
との話だった。
そんなの五分五分の話じゃない。
しかも300万が150万て、随分と話がいいわね。
と、思いつつ
「そんな金額はすぐには用意できない。2~3日はかかるわよ」
と、答えたTさん。
この手の詐欺は定番中の定番。
バリバリのキャリアウーマン。今でも仕事とボランティアに忙しくシニアリーダーでもあるTさんは、傍から見ると、オレオレ詐欺には絶対に引っ掛からないタイプ。
では、どうして振り込むぎりぎりまでTさんは気付かなかったのか??
最初の電話を取ったのはご主人でした。
「息子からの電話だ」 とご主人に言われ受話器を受け取ったTさんは、息子の声がいつもと違うことには気づいたものの、最初のご主人の言葉で完全に息子だと思い込んでしまったそうです。
「携帯は壊れてドコモで借りてるから番号が違う」という話も、絶対に息子だと信じている状況では疑うことがないんですね。
本当に他人事ではありません。Tさんはお金を用意する間際に、ちょっとおかしいかな?と気付き、振り込みをまぬがれました。
みなさん、気を付けましょうね。
因みに武田家の体験談を一つ。
久しぶりに実家に電話をかけた父ちゃん。
父ちゃん 「あー、オレ。。。」
武田母 「家には息子なんていなーーーい!!」
ガシャン!!
ツーッ。。ツーッ。。。
武田母、最強。
🍧夏休み家出合戦
気が付くと憲宗がいない。。。
はぁ。。。またか、消えた少年。
憲宗の家出は今に始まった事じゃない。そーとー年季入ってますよ。
テーブルに並んだ晩ごはんを見ては、「気に入らない」と裸で出ていった。
堂々と全裸で歩く姿は、まさに原住民イゾラド。
ここって南米だった?と錯覚。
でもって、裏の駐在のお巡りさんを従えて、どうだと言わんばかりに帰宅。
最近は衣服をまとってるだけ、まだまし。
随分と現代人らしくなったもんだ。
夜中に目が覚め、私が背中を向けて寝ていることが気に入らず、家出。
私が長女や次女と忙しそうに話をしていると、仲間はずれか。。と、家出。
私が疲れてソファーでうとうとするのが気に入らないと、家出。
しゃーねーだろー。
アスリートでもないのに、お前さんと毎日プールだのスケートだのって 。
疲れて寝るわな。
つか、一時は落ち着いてたんだけどなー。
家出行為に疲れ、主治医に相談すると意図も簡単に答えが返ってきた。
「やり返したら?」
って。
私 「やり返すの??」
主治医 「そう、やり返すの」
私 「やっぱ、そんなもん?」
主治医 「うん。そんなもん」
てー事で、やり返したあの日からは、落ち着いてたんだけれど。。。
この夏休み、頻繁に繰り返される家出に体力、気力の限界を感じた私も負けじと
「沖縄行っから」
つって、日本地図を見せ、右手で飛行機の手話サイン。
「じゃぁな」 つって。
半泣きで抱きつく憲宗。
さすがに沖縄に行かれては困ると思ったのか、憲宗は「ぼく、いい子だよ」アピール。
夏休み終盤に、家出合戦もやっと終息。
そもそも今年の夏休みは、デイの利用が増えたから楽になるだろうと思っていたのが間違いだった。
憲宗がデイに行ってる間には、長女の三者懇談、次女の野球部の車出し、応援。。。エトセトラ。。。エトセトラ。。。
なめんなよ夏休み、そんな甘くねーぞー。
そしてデイに行きたくない時は熱を出す憲宗。。。謎の体温コントロール。
これも、いつもの事 (T_T)
過労の証ヘルペスが私の体のあっちにも、こっちにも。。。
全く休めないのに「夏休み」ってネーミングがこれまた腹立つんだよなー。
ネコ、サバイバルを生きる❗ 後編
猫の生態を全く知らない私達は、どうやって探したら良いのかさえわからない。
父ちゃんが数人の友人に相談すると、皆口を揃えて「今ごろキツネに食われてるだろう。生きていたら、それこそ奇跡だ」と。私達は厳しい現実を痛感した。
それでも「ネコは動き回らないから、同じ場所で待っているかも知れない。ネコと家族の匂いのついた物を持っていくと良い」とのアドバイスに、二日後、私は山に向かった。
その朝、うとうとする中で見た夢に「絶対に見付けられる❗」と確信を持ち、それでも、万が一を思うと涙が止まらなくて、運転中はずっと山奥にいるネコに話しかけ続けた。
「今行くからね❗ 生きて待ってて❗」
現地に着くと直ぐ、懐中電灯でコンテナの下を照らし、建物の隙間や草の茂み、大きな鍋の中も探した。
「ネコー」
「ネコー。一緒に帰ろー。ネコー」
何度も何度も呼び続けた。
どのくらい経ったかな。
暫くするとどこかから小さな小さなネコの鳴き声。
「ニャー」
空耳じゃない❗❗
生きてる❗ 近くにいる❗❗
「ネコ❗」
「ニャー」
「ネコ❗」
「ニャー」
何度も繰り返しながら声のする場所を探し、法面を登って背丈程の草をかき分けると。。。小さなネコがひっそりとたたずんでそこに座っていた。。。(涙)(涙)(涙)
直ぐに抱きしめ「ごめんね。ごめんね。生きててくれてありがとう。一緒に帰ろう。」と語りかけると、それに答えるように頭を擦り付けてくるネコ(涙)
あんな大雨だったにも関わらず、体はきれいなまま、傷もない。
首輪が無いのはなぜ?
何者かに襲われて、命拾いしたのだろうか。
ちょっと痩せたのが痛々しい。
札幌までの帰路は、ずっと私の膝から離れずに眠り続けた。
疲れたよね。疲れ果てたよね。
お家に帰ろうね。
命懸けで、大切な事を教えてくれたネコ。
家族の一人一人がメッセージを受け取りました。
改めて小さなネコからいのちの大きさを学んだ武田家。
ある日突然やって来たこの子は、天からの授かり物。相応しい飼い主にならなければと、家族で心に誓いました。
生きててくれて、ありがとう。