抗がん剤治療 後編
気がつくと数カ月放置されていたブログ。。。再開?
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正月明け、いつもより休薬期間が長かったのにまさかの白血球減少。
どうにか治療にこぎ着けたものの
「それだけ危険な治療なの。」
と、主治医から釘をさされた。
そうして残り3回となったとき、肝機能の悪化と副作用の重さで治療は流れる。
「このままの数値が続いたら、今後の治療は全て中止になるかも知れない。」
そう、主治医に言われた。
時々見せる鋭い目。
リンパ転移がわかってからも、私の心は常にニュートラルでいられた。
主治医はいつ会っても変らず、疲れた顔も、機嫌の悪い顔も見たことが無い。
そんな主治医の精神的なタフさには、とても救われた。
でももう、私は疲れていた。
中止になってもいいやー。。。なんて。
ところが、「治療中止」の言葉を聞いた夫や友人たちの顔色が変わるのを見て、心底、申し訳なく思った。
中止を願った自分をバカだと思った。
ここまで助けてもらって、途中で終える訳にはいかない!
みんなの存在が、治療に向き合う最後の支えとなった。
なるようになれー!
体力なんか、とっっっくにない。
精神力はちょっとだけ。
階段を登るときは、子どもたちや夫がお尻を押し上げてくれた。
振り絞ると言うか、やってしまえーみたいな、そんな感じの最終章は、やはり副作用が酷すぎて再度減量しての治療。
勢いで終えた。
終わった。。。
そして、手足には強烈な痛みと痺れが襲いかかり、歩くことすら満足に出来ない。
治療を終えて精神的に最も開放的な状況なのに、体は反比例してる。
このままでは私の心が持たないと思い、夫に頼み、子どもたちを連れてプールの楽しめるホテルへ宿泊。子ども達の心と体を解放させた。
油断してた。
12回分の抗がん剤が体内に蓄積してる今、体は一番しんどいのだ。
それでも、清々しかった。
一人だったら絶対に耐えられなかった治療。
家族だけでも、押しつぶされていただろう。
私を支える家族。
私と家族を支えるたくさんの仲間。
これだけの支えがなければ、こうして終えることは出来なかった。
ただただ感謝が溢れて来る。
その後、2年近くは抗がん剤の影響を感じながら思うように動けぬ日々を過ごしていた。
やっと抜けかたと思える日も来たけれど、相変わらず冷たい物を口にすると痛い。ビールをごくごく飲むことも出来なければ、かき氷も食べられない。
それでも出来る事はたくさんあると言うことは有り難い。
私の闘病なんか、闘病と言えるほどの体験ではないけれど、幼い子を抱え、障害ある子を抱えての治療と言うのはやはり大変でした。
その経験には価値があるかな?と。
意地になって一人でがむしゃらに子育てしてた自分に「他人を頼りなさい」と言うメッセージだったのかも知れない。
まだまだ自分自身は子育てでいっぱいいっぱいだけれど、誰かのお役に立てることがあるなら嬉しいし、不自由なく動く体があるのだから、出来る事には楽しみながらトライして行きたいと思う。
そんな訳で、テレビの密着取材も受けちゃったのだ。
せっかく生きてるのだから、生きてる事を楽しまなくっちゃね。