ちゃんと今を生きてるかい?

耳が聞こえず言葉を持たない息子が教えてくれたこと。「未知数なぼくたち」絵会話アーティスト武田憲宗の活動や家族の日常を記録。金髪で、がんサバイバーの母ちゃんは気合を入れて子育て中。

抗がん剤治療 中編

イメンドを服用し抗がん剤を減量しての治療スタイルが決まった。

治療は木曜日。

朝は自宅から車で50分離れた幼稚園に憲宗を送り、そのまま病院へ。

血液検査、診察そして抗がん剤

病院を出るのは夕方になり、それから憲宗をお迎えに行く。

自宅に帰ると、お弁当屋さんで働く友人から家族5人分のお弁当が差し入れされている。

有り難く頂く。

私が抗がん剤のボトルを首から下げてる姿に、子ども達も治療の始まりを覚悟する。

 

金曜の朝は体を引きずり、どうにか憲宗を幼稚園へ。

自宅へ帰ると、そのまま布団にもぐりこんだ。

帰りの憲宗の送迎は友人たちが引き受けてくれていた。

土日、子ども達は児童養護施設

私は副作用のまっただ中。

看護師の友人が様子を見に来て、茶碗を洗い掃除機をかけてくれた。

月曜、火曜は子ども達も帰宅。山もりのおかずを手に、友人が来て家事もしてくれた。

彼女のお味噌汁とサラダが、私の回復食。

 

そうして、水曜日には床上げ(笑)

そんなルーティン生活も出来あがった。

 

連休前には、パン屋の友人からたくさんのパンが届いた。

仲人さんからは一升分の山菜おこわ。

買い物。

子どもの病院の付き添い。

習い事。

送迎。

 

「私がこれを引き受けるよ」と、次々とたくさんの友達が手を差し伸べてくれた。

施設が利用できない時は、子どもたちを泊めてもくれた。

それだけでも大変なことなのに、動物園や水族館へと出掛け、子ども達に息抜きまでさせてくれていた。

「子どもなんだから、甘えさせてあげよう」

そう言って、代わる代わるお母さんになってくれた。

まるで「チーム武田」。

 

「何かあったら言ってね」という言葉より、具体的に何が出来るかを伝えてくれたため、私もお願いしやすかった。

それはとても救われたことだった。

皆それぞれに家族がいて生活がある中で、実のところ何を頼んで良いのかがわからない場合がある。

遠慮ではない。わからないんだ。

 

たくさんの人に助けられ、支えられて私の治療は順調に進んでいった。