ちゃんと今を生きてるかい?

耳が聞こえず言葉を持たない息子が教えてくれたこと。「未知数なぼくたち」絵会話アーティスト武田憲宗の活動や家族の日常を記録。金髪で、がんサバイバーの母ちゃんは気合を入れて子育て中。

抗がん剤治療 前編

友人の手厚いサポートを受け、少しだけ前向きになれた私は病院へ向かった。

「えっ?ホントに??」

私の副作用を聞いて、目を丸くする主治医。

「副作用を和らげる薬があるから。」

と、処方されたのは吐き気止めのナゼア。

それと、デカドロン錠と言う、まるでドクロベエにお仕置きを受けそうな薬。

間髪いれずに切り返してきた主治医の言葉を聞いて、改めて「やるしかないんだな」と覚悟する。

 

たけーな。

値段が値段だけに、効くだろうと思ったが、そうは問屋が卸さなかった2回目の治療。

高いナゼアを飲んでも止まらない嘔吐。 

脱水の為に点滴を打ちに行った近くのクリニックの女医さんには

「貴女!こんな酷い副作用で!!このまま治療を続けるつもり!?」

と、迫られる始末。

まともに歩くことすら出来ないのだから、そう言われても仕方ない。

 

そんな状況に、どうだと言わんばかりに主治医が処方した薬。その値段にアゴが外れた。

2錠で5000円!!!

イメンドと言う名の薬に、処方箋を見て驚いた薬剤師さんが憐れむように私の顔を見る。

おいおい。そんな憐れむように見ないでくれよー。

私はまだまだ大丈夫。

 

と、挑んだ3回目は、それほど吐くことはなかったが

「吐いた方がマシだった」

と言う私の感想と相変わらず重い副作用のため、ついに抗がん剤は減量となる。

 

そして4回目の時に、治療は全部で12回、その日を含めて残り9回だと言うことを初めて主治医から知らされた。

「先を見ちゃダメだよ。」と。

 

手術が終わり、リンパ転移がわかり、あれよあれよとなだれ込む様に治療が始まった。

世の中には「抗がん剤で殺される」と、うたい文句が溢れている。

決して流された訳ではない。

意見を言えなかった訳でもない。

資料を渡され、丁寧な説明は受けていたものの、それを全て完璧に理解していたとは言えない(だって、すごい量だもの)中で、しんどかったけど、きつかったけど、この選択を疑うことはなかった。

この病院で、この先生となら治療出来る。

そう思っていた。

 

そしてこの頃、同級生Kのことを、やたらと思い出していた。

医師の国家試験に受かったその年に、事故で亡くなったK。

あいつなら、絶対に信頼されるお医者さんになっていたはずなのにな。 

Kを想いながら私が考えていたのは、三児の母親として、どう生きるのか?と、言うことだった。

 

難しい選択を迫られた時の最後の切り札は、信頼関係なんだろうと思うし、もう一つ私が信じたのは、自分の直感。

ただそれだけ。


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