ブログのタイトル
先日、テレビ東京の密着取材を受けたことをきっかけに、私たち家族の時計の針が5年前に戻ったような感覚になりました。
気がつけば、私のブログには「子どもへの告知」以外は記録していません。
これもたまたま医療者向けにお話しする機会があったから、記録したようなものです。
日々の子育てに夢中で、普段はあまり振り返ることのなかった私の闘病について、この機会にブログにまとめることにしました。
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このブログタイトル、この言葉は憲宗が私に投げ掛けた言葉。
順風満帆に見える私の子育ては、最初からずっとそうだった訳ではない。
一番辛く苦しんだ時期に、私は笑うことが出来なかった。
憲宗もまた、社会からの差別や大人の心の歪みを敏感に感じとり、深く傷ついていた。
「社会から切り離して育ててはいけない」
憲宗の主治医が、何でも受け止めてくれるおおらかな主治医が唯一、これだけはしてはいけないと言っていた。
耳が聞こえず言葉を理解出来ないその頃の憲宗にとって、「事情」も「都合」も通らない。
理不尽な毎日に社会への不信感は日に日に大きくなった。
家から出たがらない憲宗。
「このまはまではいけない」と、憲宗を連れ出そうとする私。
出掛ける身支度を始めると、裸になって火の着いたストーブに体を打ち付けたり、走っている車から飛び降りようとしたり。。。
苦しんでいる憲宗を見ているのは、辛くて苦しくて。それを吐き出せず、目の前で起きている現実を受け入れることも出来ず、理解のない社会への怒りは私の体の中でがん細胞となった。
幼稚園に通うことを止め、自宅で過ごす様になると、憲宗は穏やかさを取り戻した。
私の膝に乗っては顔に触れ「笑って。笑って。」と目を見つめる。
そして同時に、この言葉を投げ掛けてきた。
「ボクはここにいるよ。かーちゃんはどこにいるの?ちゃんと今を生きてる?」
過ぎたことばかりがグルグルと頭を巡り、心は過去にいっていた、私。
そんな私を現実に引き戻してくれた、強い言葉。
今を生きる。
私にとって憲宗はシャーマン。
私を導いてくれるこの子から目をそらさずに、痛みも苦しみも全て味わい生きていこうと誓ってから、私の中の怒りや憎しみという感情は徐々に消えていった。
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