ちゃんと今を生きてるかい?

耳が聞こえず言葉を持たない息子が教えてくれたこと。「未知数なぼくたち」絵会話アーティスト武田憲宗の活動や家族の日常を記録。金髪で、がんサバイバーの母ちゃんは気合を入れて子育て中。

初めてのお話会

「のりくんの子育ての話を聞かせて」と、

今までもそんな話はなくはなかったけど、引き受けたことはなかった。

理由は色々あったけれど、まだまだ目の前の子育てにいっぱいいっぱいで、気持ちのゆとりなんてなかったのが、一番の理由だろうか。

色んな状況で、引き受けるタイミングだったのかも知れない。

声をかけてくれたのは、HOCORUの直子さんと、ぴんぽんはーとのあやちゃん。

初めてお二人に会ったのは、憲宗が年中の秋。

色んなことがあって私も憲宗も傷つき、引きこもりのように自宅ですごしていた時期にイベント会場で会ったのが最初だった。

私の子育てを理解し応援してくれている、心強い見方。

とはいえ、良くもまぁ、こんなど素人の私に任せてくれたものだ。

信じてもらえたからこその依頼だろうと思うと、本当にありがたいことです。

上手くは話せないけれど、そのままの心を尽くそうと思い、引き受けた。 

 

引き受けたはいいものの、「てんらんかい」で忙しい毎日。

運転中やご飯支度の合間に頭で構想を練り、前日、紙にまとめた。

いや、まとめるほどでもないべ。

小さなノートに話の構成と言うか、見出しを書いた。

 

人様の前でお話する以上、発達時期などを再度確認する意味もあって、保育園の連絡帳や、ベビーシッターさんとの連絡ノートも読み返した。

低緊張乳児(フロッピーベビー)でお座りもできず、おまけにぜんそくとあって、連絡ノートの中身は盛りだくさん。

ぜんそくが酷くて保育園を退園したこと。2歳過ぎて、公園で突然3歩歩いたこと。この頃は音に反応してた。表情が乏しくなってきたのはこの頃だなー。。とか。

(3歳に受けた検査で聴覚障害が分かった。憲宗は生まれた時には両耳難聴児で、その後右耳を失調したと思われる)

歩けないから、おんぶ紐は3歳まで使ってた。

背中におぶってる事を忘れて「憲宗どこー!!」って悲鳴に近い声を上げながら探してた時もあったほど(笑)いつも、いつもおぶってた。

やけどだの誤飲だのって、病院もよく行った。

いや、今もか(苦笑)

振り返ること、いっぱい。

保育園から幼稚園まで、色んなところを渡り歩いてきたなー。

 

お話会当日は、ご近所のお友達Sちゃんと一緒に車で会場へ。

Sちゃんとのめぐり合わせもまた、感慨深い。

この年齢になってもたくさんの出会いはあるけれど、「友達」と呼べる新しい存在と出会えることは本当に幸せだと思う。

それにしても、試験だとか大切な用事の時はいつもそうだけれど、無事に会場に到着できるかが一番緊張する(汗)

Sちゃんが「そこなの!?」って笑ってたけど、そう、そこなの。

 

会場にはたくさんの子連れ。

ママたち。なかにはおばあちゃんも。

私の話が始まると、メモを取ってる方、うんうんとうなずきながら聞いてくれてる方、目に涙をためてる方、過去の自分を見つめるような、そんな目をしながら真剣に聞いてくれてる方。。。完全に涙腺崩壊の方までも。

 

 こんな風に受け止めてもらえるんだー。

 

裸足の憲宗を連れて歩いた日々。。。

全裸の憲宗を担いで走った日々。。。

私を突き動かした娘たちの言葉。

お互いにケガしちゃったり、させちゃったりで、包帯ぐるぐるのときもあった。

言葉が通じず、宇宙人みたいな憲宗。

どこに行っても、刺さる目線。

私の入院で離れて過ごした日々。

それでも、どうにかここまで来ました。

 

自分を語ることは、自らを癒すことになる

どこかで耳にしたこの言葉。

 

確かにそうなのかも知れない。

見えない何かを受け取ったのは私のほうだった、と体感した一日。

そして、改めて子育てに向き合おうと、背筋が伸びる。

 

自分自身のことは、正直よくわからない。

私自身は得意なことも何一つない、つまらない母親だ。

ただ、日常は色ーんなことが溢れている。

日ごろの子育てのたわいもない私のおしゃべりを聞いていた友人は「憲宗を育てなければ経験できないそういうお話、聞きたいと思っている人はいると思うよ」と。

そっかー。そうなのか。

全裸の子供の対処法とか(笑)?

 

もし、この先も機会を頂けたなら、感謝して引き受けようと。そう思えた、初めてのお話会でした。 

 

私のつたないお話を聞きに、参加してくださった皆様。お忙しい中準備してくださったイコロスタッフの皆様。

ありがとうございました。