がん
迎えた取材日。 ほんのわずかな打ち合わせを済ませ、先ずは手話サークルへ。 放送ではカットされていたけれど、私の日常を撮影したいとのことで手話サークルでの学習風景も撮影していた。 帰宅して私のインタビュー。 子ども達の話に、目を赤くするプロデュ…
とにかく、それは突然だった。 最初のメールが届いたのは水曜日の夕方。病院スタッフから。 その時点で、私の心は取材を引き受けようと、決まっていたんだと思う。 偶然にも次の日は私の術後5年目の診察日。クリアなら卒業。 結果は大丈夫とは思いながらも…
気がつくと数カ月放置されていたブログ。。。再開? ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 正月明け、いつもより休薬期間が長かったのにまさかの白血球減少。 どうにか治療にこぎ着けたものの 「それだけ危険な治療なの…
イメンドを服用し抗がん剤を減量しての治療スタイルが決まった。 治療は木曜日。 朝は自宅から車で50分離れた幼稚園に憲宗を送り、そのまま病院へ。 血液検査、診察そして抗がん剤。 病院を出るのは夕方になり、それから憲宗をお迎えに行く。 自宅に帰ると…
友人の手厚いサポートを受け、少しだけ前向きになれた私は病院へ向かった。 「えっ?ホントに??」 私の副作用を聞いて、目を丸くする主治医。 「副作用を和らげる薬があるから。」 と、処方されたのは吐き気止めのナゼア。 それと、デカドロン錠と言う、ま…
私は炊飯器を持っていない。 抗がん剤の副作用で、私は冷たいお水に触れる事が出来なくなったため、長女がご飯を研いで炊くと言う役割を担うこととなった。 毎日、毎日ご飯を炊かなくてはいけなくなった長女の為に、炊飯器を買おうかと考えたのだけれど、一…
初めての抗がん剤。 針を抜いてホッとした頃に副作用はやって来た。ビニール袋を片手に、何度も吐きながら帰宅。 その後、土日の二日間の記憶は、ほとんどない。 とにかく五感の全てが苦しくて、部屋に降り注ぐ日の光も、窓から入り込む風も、自分の肌の匂い…
いよいよ始まる抗がん剤治療。 肩にリザーバーを埋め込む手術を担当したのは、まだ若いO先生。 手際も良い上、ベテランの様に落ち着いているその雰囲気に安心しきっていた私。 担当の看護師さんは、私がM先生からがん告知を受けた時に傍にいたこともあり、…
薬やワクチンはあまり好きではない。 必要な時にはちゃんと病院へ行くけれど、プロポリスとイトオテルミー(医師が開発した温熱刺激療法)でたいていの体調不良は改善するし、インフルエンザワクチンも打ってはいない。 いきなり「抗がん剤治療」と言われて…
術後は順調に回復していた。 明日は退院って時に病室にやってきたT先生。 「組織検査の結果が出たから、ご主人呼んでくれる?」 私 「えっ?先生、私一人じゃだめ?」 今までだって、術前の説明も、手術の時だって私一人だったのに。 T 「ご主人と、ご一緒…
がんの話が続くと疲れるので、ここらで気分転換♪ 3月の健康診断で便潜血がわかった後も、変わらぬ毎日は続く訳でして。。。 この頃は、大腸カメラ検査のため病院に予約を入れたりして過ごしていた。 GWの始まりに、私は台所仕事をしながら長女と次女の宿題…
看護師さんの声で手術が終わったことを知る。 酸素マスク。体のアチコチに上からも下からもチューブが入っているのがわかるが、そのまま深い眠りに落ちた。 目が覚めたのはいつだろう。 私は一人だった。 この入院はほんの数人の友人、知人にしか伝えていな…
「僕が切るから」 そう言ったかどうか。 でも、私の記憶にはそう残っている。 そんな感じで、突然現れたT先生。 『完璧に切ります。切っちゃいます。』と、見てるだけでわかってしまう、そんなドクターだった。 医者医者した感じがないので、私も患者患者し…
内視鏡で切除したがんの組織検査の結果が出た。 リンパ転移はないものの、根が深かったらしく断端検査の結果が陽性だった。 大きな心配はないが、やはり気になると言うМ先生。 「大腸を切除したほうが再発率がは下がりますが、手術なので体には傷が付きます…
子ども達を知人にお願いして、1泊の入院。 ラッキーな事に腕の良いM先生に診てもらえた私は、前回の内視鏡(大腸カメラ)で何の苦痛もなかったため、今回の内視鏡手術にもなんの不安もなかった。 そうして、悪性腫瘍の大きさや私の生活状況を配慮して、入…
元々予約を入れていた35歳の健康診断。 実はこの年、私は精神的に不安定な憲宗から離れられず幼稚園に付きっきりで登園し、何度も予約をキャンセルしていた。 「憲宗を見ているから、行ってきなさい。」 ママ友に背中を押されて年度末ギリギリ、病院へ駆け込…
5年前の2月は、私が「がん宣告」を受けたときでした。 でも私「がん宣告」ってドクターからされるものだと思ってたんですよね。 なのに、私の場合は意外な奴がしゃしゃり出てきて。 まさかのまさか。 「えっ!?ドクターでもないのに!?」 みたいな。 で…
半年間の治療だった。 秋に始まり、寒さへと向かう。 体の細い憲宗は、冬に一人で眠ると朝には体が冷え切っていた。 朝、目が覚めると一目散に長女を探し、力いっぱい抱きついて、冷えた体を温めてもらっていたらしい。 涙なしでは聞くことはできなかったけ…
さて、母ちゃんががんだと知った子どもたち。 その後はどんな様子だったかと言うと。。。 長女はテレビでがんの特番があると「母ちゃん見る?」なんて、録画してくれていた。 きっと自分でも興味があったのだろうと思う。 テレビを見て、次女は 「母ちゃんは…
いつかの24時間テレビ。 闘病作品はあまり興味を示さない長女が「はなちゃんのみそ汁」を見るんだと、珍しく放送時間をチェックしていた。 24時間テレビは毎年8月。その頃の私は夏休みの過労で日々精一杯のことが多くて、その日もテレビを見る体力はな…
「残念ながら、リンパ転移してたので、武田さん若いから抗がん剤治療は絶対ね」 と、まさかのまさか。 いつもフランクな主治医が笑わなかった訳だ。 どうするこうする考えながら、翌日、逃げるように退院。 施設から帰宅した長女と憲宗とは抱き合って号泣の…
自分でがんを自覚したのは2月のある朝だった。 ここには詳しく書かないが、自覚症状はないけれど直感で気付いていた。 もともと予約していた健康診断が3月だったから、そのまま日々を過ごし、「便潜血」の結果に「やっぱりなー」というのが、素直な感想。 …
医療関係者の方々が「親ががんになった時、子どもへの告知」というようなテーマで勉強会を開くらしく、体験者として参加するお話を引き受けた。 私は当時、小5・小2の娘たちにがんであることを告知。憲宗には絵カードで、私が病気になったことを伝えた。 …