ちゃんと今を生きてるかい?

耳が聞こえず言葉を持たない息子が教えてくれたこと。「未知数なぼくたち」絵会話アーティスト武田憲宗の活動や家族の日常を記録。金髪で、がんサバイバーの母ちゃんは気合を入れて子育て中。

⑫ 長女にお鍋でご飯を炊かせた理由

私は炊飯器を持っていない。

抗がん剤の副作用で、私は冷たいお水に触れる事が出来なくなったため、長女がご飯を研いで炊くと言う役割を担うこととなった。

毎日、毎日ご飯を炊かなくてはいけなくなった長女の為に、炊飯器を買おうかと考えたのだけれど、一瞬で思いとどまった。

 

考えてみたら、私は家にいる。

付きっ切りで教え、見守ることは出来るのだ。

それに、少しくらい難しいことの方が、仕事としてはやりがいがあるんじゃないかな?

普段のお手伝いとは少し違う今回の任務。

絶対に長女がやらなければいけない重圧。

そうした状況の中で、お友達には出来ない事が自分には出来たら、ちょっと嬉しいだろうし、ちょっと自慢になるだろうと、そう思えた。

 

炊飯器でピーっと炊かさったご飯は、たいてい上手くいく。

お鍋だと、そう簡単にはいかない。

だからと言って、小学校5年生の子に出来ないほど難しいことではない。

 

私の判断は正解だった。

何が良かったって、毎日、毎日、長女を褒める事が出来たから!

「美味しい!今日も上手に炊けてるー!!」

長女は誇らしげだった。

そうして、寝る前には私が長女の手にハンドクリームを塗る。

我慢してしまう長女に、そんなスキンシップも出来た。

 

思わず手が出て、甘やかしてしまいそうな今日この頃。

体が動かないから子育てが出来ない訳ではない。

例え動けなくなくなっても親として見守る事、出来ることはたくさんあるんだと言うことを体感して、いつか誰かに言われた言葉を思い出した。

 「死んでも子育ては続く」

 

長女は一度もいやとは言わずに、毎日毎日、お鍋でご飯を炊いた。

 

⑪ あの日の電話

初めての抗がん剤

針を抜いてホッとした頃に副作用はやって来た。ビニール袋を片手に、何度も吐きながら帰宅。

その後、土日の二日間の記憶は、ほとんどない。

 

とにかく五感の全てが苦しくて、部屋に降り注ぐ日の光も、窓から入り込む風も、自分の肌の匂いも、通り過ぎる車の音さえも辛くて苦しくて、何度も嘔吐を繰り返し、呼吸は荒く涙は止まらず、この副作用がいつまで続くのかわからない恐怖の中でうっすらと目を開けると、知らない誰かが、私の傍に座っていた。

 

「誰??」

幻覚?

それとも、誰かが私を護りに来てくれたのだろうか。。。

 

いつの間にか気を失っていた。

 

どうにか体を起こせたのは、月曜日のこと。

 

「無理だ。無理。

どんなに我慢しても、どんなに頑張っても、これは無理。

仕方ない。覚悟はしてたけど、こんなに苦しいだなんて思ってなかった。

きっと、みんなだってわかってくれる。」

 

精神的にも肉体的にも受けたダメージの強さに茫然としていた。

静まり返った自宅で一人、何をすることも出来ずに布団に横たわっていた。

 

その時、自宅の電話が鳴った。

這うように近づき、受話器を取ると。。。

 

「みほ、大丈夫? これからご飯持って行くから。お家のこともするからね。」

 

友人からの電話だった。

彼女の柔らかな声にただただ、泣いた。

 

お皿にいっぱいのおかずを届けてくれた友人は、洗濯と洗い物をして自分の子ども達が帰る前に自宅へと戻った。

 

 「また明日来るから。」

と。

 

気を失うほどの治療に少しだけ光が見えて、私はまた泣いた。

⑩ 初めての抗がん剤

いよいよ始まる抗がん剤治療

肩にリザーバーを埋め込む手術を担当したのは、まだ若いO先生。

手際も良い上、ベテランの様に落ち着いているその雰囲気に安心しきっていた私。

担当の看護師さんは、私がM先生からがん告知を受けた時に傍にいたこともあり、三人でがんの話やら、お互いの家族や子どものことやら何やらおしゃべりしながら、手術はあっと言う間に終わった。

そうして、その傷は小さく、夏に薄着をしても隠れるような配慮がしてあった。

ありがとう、О先生。 

 

翌日から始まった抗がん剤治療

私の場合、約46時間かけて抗がん剤を打つ。

病院で抜針してから帰宅するスケジュールとなっていた。

いよいよ始まったその時の、得体のしれない液体が体内に入り込んでくる不気味な感覚が今も忘れられない。

それでも初日、二日目とそれほど副作用もなく、様子を見に来た主治医にブイサインを見せたのだが、いつもフランクな主治医が笑わなかった。

 「まだわからないからね。」と。

 

なかなか空っぽにならない抗がん剤

そうして込み上げてきた吐き気。

「あー、ダメだったかー。やっぱり副作用はあるのか。。。」

 

終了予定時間を数時間オーバーして真夜中の退院となった。

救急の玄関で父ちゃんの迎えを待つ間にもおう吐を繰り返し、看護師さんからは「産科の方ですか?」と、つわりの妊婦と間違えられる。

 

36歳。

若いってこういうことか。

⑨ 私が抗がん剤治療を受けた理由

薬やワクチンはあまり好きではない。

必要な時にはちゃんと病院へ行くけれど、プロポリスとイトオテルミー(医師が開発した温熱刺激療法)でたいていの体調不良は改善するし、インフルエンザワクチンも打ってはいない。

 

いきなり「抗がん剤治療」と言われて、うんもすんも言えなかった。

「とりあえずがん保険は入ってる。」
これが、その時の私の答えだった(笑)

 

「最新治療でがんは治る!」とかなんとかってテレビや雑誌で見るけれど、実際に自分がその治療対象になるかどうかはまた別の問題だ。

民間療法もしかり。

自分に良いからと言って他人にもそうとは限らないし、その逆もまた同じく。

そもそもがんになった原因も、私みたいにストレスでなる人もいれば、遺伝だったり生活習慣だったりと、みんな違うのだから。

そういう事は経験して初めてわかる。

 

がん患者も色々で。。。

抗がん剤治療をしたいの!!と、張り切ってる方もいた。

積極的に治療なんてしないわよって方もいた。

年齢もがんステージも、背負ってる人生も人それぞれ。

 

やりたくないなー。

 

私はそう思っていた。

 

「何言ってるの。あなたはしなきゃダメよ。子どもがいるんだから。」

 

同室の料理屋の女将さんの言葉にハッとする。

「やりたい」とか「やりたくない」とか、そんな下らないこと言ってる場合じゃないんだな。

 

それでも、はっきりしないまま私は同意書にサインした。

「大丈夫?? 治療するんだよね?」

と、驚き気味の主治医が私の顔を覗き込む。

そう聞かれても仕方ない(笑)

「えっ? あー。うん。」

まるで他人事みたいに診察室の椅子に座っていた私は、やる気のなさ丸出しだった。

 

そうして、このまま迷いながら治療を受けては効く物も効かないだろうし、やらないならやらない選択に納得するためにも、私の体を私以上によく知る東洋医学の先生に相談した。

ここには詳しく書かないけれど、彼の西洋医学を丸ごと否定しない考え方が、私の中にストンと堕ちた。

きっと私は薬負けする。

抗がん剤でうけるデメリットは必ずある。

そこを最低限にするために、東洋医学に助けてもらおう。

「よし。やっぞ。」

そう決めて、再び入院を迎えた。 

⑧ まさかのリンパ転移

術後は順調に回復していた。

明日は退院って時に病室にやってきたT先生。

「組織検査の結果が出たから、ご主人呼んでくれる?」

私 「えっ?先生、私一人じゃだめ?」

今までだって、術前の説明も、手術の時だって私一人だったのに。

 

T 「ご主人と、ご一緒に。」

強い声。初めて見た鋭い目。そして、続けて

T 「何時でも構わないから。」

と、あれこれ聞かずとも私の家庭の事情は全て理解してくれてるその顔を見たら、駄々をこねずに「連絡してみる。。。」と言うしかなかった。

 

この時点で、良くない展開なんだろうとは察していた。

そうして、夜の8時。

カンファレンスルームに呼ばれ、T先生と父ちゃんは向き合い、私は横のソファに腰かけていた。

「残念ながら。。。」

と、切り出したT先生。

「リンパに転移していました。」

大きな声が響く。

「武田さん、若いから抗がん剤治療は絶対ね。」

 

えっ?って感じだった。2人とも。

でも、それはT先生もそうだったのかも知れない。

消化器内科のМ先生も、目の前のT先生も「このケースでがんが体に残っているのは見たことがない。」と、手術の前には同じ見解を示していたのだ。

 

T 「宝くじに当たるよりもはるかに低い確率だったんだけどね。ボクも驚きました。」

 

どうりで、入院前日に私が買ったサマージャンボはあたらぬ訳だ。こっちで当たっちゃったんだもの。

 

ステージはⅢーa。

リンパから血液に乗って、がん細胞は私の体内を巡っている。

 

執刀した敏腕外科医のT先生はがん専門医。このまま私の主治医となる。

♪ コインを誤飲 オーイエーィ ♪

まさかのラップ調♪

誤飲も2回目ともなれば、タイトルで韻を踏むくらいの余裕はありますよ。

 

そう、2回目の誤飲はプラスチックのコイン。マリオのコイン。

1円玉くらいの大きさだったかな。

 

その日、憲宗はレゴでアヒルらしい鳥を作っていて、そばでは次女が憲宗を見守りながらなにかしら遊んでいて、静かで穏やかな休日の朝だった。

冷蔵庫からたまごを一つ持って行く様子に

「あ~産んだんだな~。ヒナはいつかえるかしら~。」

なんて、私も幸せを感じていた。

そんなつかの間。

ホントにつかの間。

 

「かーちゃん!!!」

 

と、次女の叫ぶ声に急いで駆けよると、えずいてる憲宗の口からコインが出てきた。

「産まれたー!!」

なんて気分じゃねーし!!

 

また誤飲かーーーーーーい!!

 

どうやらレゴてアヒルを作り、コインを餌に見たてて遊んでいるうち、親鳥気分になってしまった憲宗はついコインを口に入れてしまったらしい。。。

 

そうして「おさるのジョージびょういんへいく」の絵本が、再び登場!!!

またか!!

見たくなかったぞ!

 

病院では救急の先生。初対面。

先生 「どうやってお母さんはわかったのですか?」

憲宗を初めて診る先生にはいつも聞かれる質問に、絵本を見せた。

先生 「すごい!!これを持って来たんですか?それで、お母さんに伝えたんですか?すごい!」

集まる看護師。上がる歓声!

 

いやいや、そうでなくて!

この子、誤飲ですよ!小学2年生にもなって、誤飲ですからー!

先生ーー!!

驚くとこ、ちがーーーーーう!!!

 

 

ボタン電池誤飲事件

がんの話が続くと疲れるので、ここらで気分転換♪

 

3月の健康診断で便潜血がわかった後も、変わらぬ毎日は続く訳でして。。。

この頃は、大腸カメラ検査のため病院に予約を入れたりして過ごしていた。

 

GWの始まりに、私は台所仕事をしながら長女と次女の宿題を見ていた。

リビングと台所を行ったり来たりする私に、オレをかまえ、オレと遊べよと、憲宗が邪魔をする。

相変わらず待てない男。この待てなさは、世界のYAZAWA並。

歌って踊れないんだから、少しくらい待ってろよ。

 

『それじゃオレ~、こんな事しちゃうからね~。』

と、洗濯ばさみを口に入れようとする。

ったく、やめなさい。

『じゃあ今度はこれ~。』

と、今度は補聴器のボタン電池

「ダメだってば!」

と奪い取り、そのままテーブルに置いた私が悪ぅござんした。 

 

しばらくすると憲宗がしょんぼりしながらやって来て、右手で右の頬をトントンと。。。

『おいしい』の手話。。。

えっ!?

 

「ゴクリ。。。( ゚ε゚;)」

と、唾を飲む私。

 

「飲んだのか?電池を飲んだのか??」

 西部警察のベテラン刑事、小林昭二のごとく問い詰める私に、憲宗が部屋から絵本を持ってきた。そのタイトル。

 

おさるのジョージびょういんへいく」

オイオイ、やめてくれ。

確かそれはジョージがジグソーパズルのピースを飲み込んだ話だろ。 

そうして

『オレはコレをしなければならない』

って指差してるページには、レントゲンを撮ってるジョージ。。。

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ジョォォォーーーーーーーーージ!!!!

 

 

「病院行ってくっから」

 

娘たちも慣れたものだ。

笑顔で見送ってくれた。

 

そうして、診察室にはたまたま祝日当番だったK先生が笑いながら迎えてくれた。

「お母さ~ん。ボタン電池って一番危ないからね~、うん。入院ね~。」

つって。

 

レントゲンに輝く電池を見た憲宗は、レントゲンと自分のお腹を交互に指差し、歓声を上げて大喜びしていた。

私ってば、リアル黄色い帽子のおじさんって気分。