ちゃんと今を生きてるかい?

耳が聞こえず言葉を持たない息子が教えてくれたこと。「未知数なぼくたち」絵会話アーティスト武田憲宗の活動や家族の日常を記録。金髪で、がんサバイバーの母ちゃんは気合を入れて子育て中。

♪ コインを誤飲 オーイエーィ ♪

まさかのラップ調♪

誤飲も2回目ともなれば、タイトルで韻を踏むくらいの余裕はありますよ。

 

そう、2回目の誤飲はプラスチックのコイン。マリオのコイン。

1円玉くらいの大きさだったかな。

 

その日、憲宗はレゴでアヒルらしい鳥を作っていて、そばでは次女が憲宗を見守りながらなにかしら遊んでいて、静かで穏やかな休日の朝だった。

冷蔵庫からたまごを一つ持って行く様子に

「あ~産んだんだな~。ヒナはいつかえるかしら~。」

なんて、私も幸せを感じていた。

そんなつかの間。

ホントにつかの間。

 

「かーちゃん!!!」

 

と、次女の叫ぶ声に急いで駆けよると、えずいてる憲宗の口からコインが出てきた。

「産まれたー!!」

なんて気分じゃねーし!!

 

また誤飲かーーーーーーい!!

 

どうやらレゴてアヒルを作り、コインを餌に見たてて遊んでいるうち、親鳥気分になってしまった憲宗はついコインを口に入れてしまったらしい。。。

 

そうして「おさるのジョージびょういんへいく」の絵本が、再び登場!!!

またか!!

見たくなかったぞ!

 

病院では救急の先生。初対面。

先生 「どうやってお母さんはわかったのですか?」

憲宗を初めて診る先生にはいつも聞かれる質問に、絵本を見せた。

先生 「すごい!!これを持って来たんですか?それで、お母さんに伝えたんですか?すごい!」

集まる看護師。上がる歓声!

 

いやいや、そうでなくて!

この子、誤飲ですよ!小学2年生にもなって、誤飲ですからー!

先生ーー!!

驚くとこ、ちがーーーーーう!!!

 

 

ボタン電池誤飲事件

がんの話が続くと疲れるので、ここらで気分転換♪

 

3月の健康診断で便潜血がわかった後も、変わらぬ毎日は続く訳でして。。。

この頃は、大腸カメラ検査のため病院に予約を入れたりして過ごしていた。

 

GWの始まりに、私は台所仕事をしながら長女と次女の宿題を見ていた。

リビングと台所を行ったり来たりする私に、オレをかまえ、オレと遊べよと、憲宗が邪魔をする。

相変わらず待てない男。この待てなさは、世界のYAZAWA並。

歌って踊れないんだから、少しくらい待ってろよ。

 

『それじゃオレ~、こんな事しちゃうからね~。』

と、洗濯ばさみを口に入れようとする。

ったく、やめなさい。

『じゃあ今度はこれ~。』

と、今度は補聴器のボタン電池

「ダメだってば!」

と奪い取り、そのままテーブルに置いた私が悪ぅござんした。 

 

しばらくすると憲宗がしょんぼりしながらやって来て、右手で右の頬をトントンと。。。

『おいしい』の手話。。。

えっ!?

 

「ゴクリ。。。( ゚ε゚;)」

と、唾を飲む私。

 

「飲んだのか?電池を飲んだのか??」

 西部警察のベテラン刑事、小林昭二のごとく問い詰める私に、憲宗が部屋から絵本を持ってきた。そのタイトル。

 

おさるのジョージびょういんへいく」

オイオイ、やめてくれ。

確かそれはジョージがジグソーパズルのピースを飲み込んだ話だろ。 

そうして

『オレはコレをしなければならない』

って指差してるページには、レントゲンを撮ってるジョージ。。。

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ジョォォォーーーーーーーーージ!!!!

 

 

「病院行ってくっから」

 

娘たちも慣れたものだ。

笑顔で見送ってくれた。

 

そうして、診察室にはたまたま祝日当番だったK先生が笑いながら迎えてくれた。

「お母さ~ん。ボタン電池って一番危ないからね~、うん。入院ね~。」

つって。

 

レントゲンに輝く電池を見た憲宗は、レントゲンと自分のお腹を交互に指差し、歓声を上げて大喜びしていた。

私ってば、リアル黄色い帽子のおじさんって気分。

⑦ 術後

看護師さんの声で手術が終わったことを知る。

酸素マスク。体のアチコチに上からも下からもチューブが入っているのがわかるが、そのまま深い眠りに落ちた。

目が覚めたのはいつだろう。

私は一人だった。

この入院はほんの数人の友人、知人にしか伝えていなかったし、夫に仕事を休んでもらうことは私自身が望まなかった。

この病院のケアが完璧だと、過去三度の出産で知っていた私は何の不安もなかった。

T先生は事情を察して、家族が付き添わないことを深く聞くこともなく、黙って頷いてくれた。

 

ベッドサイドの電話が鳴り、看護師さんが受話器を取ってくれた。夫に手術が終わったことを知らせるのだが。。。

力が入らない。

さっきまでチューブが喉に入っていたせいもあり、声が出ない。

やっとの思いで

「後は。。。傷の痛みは日薬だから。。。」

と伝えたら

「えっ!? 胃薬?大腸なのに胃薬?」

と、騒いでいる夫。

日薬知らんのか?

面倒くせ。説明する気力もなく「じゃぁ」っと、電話を切った。

 

一人で手術を受けて良かったー。

そばにいたら、もっと面倒だったかも。

 

⑥ いざ、大腸手術

「僕が切るから」

そう言ったかどうか。

でも、私の記憶にはそう残っている。

 

そんな感じで、突然現れたT先生。

『完璧に切ります。切っちゃいます。』と、見てるだけでわかってしまう、そんなドクターだった。

医者医者した感じがないので、私も患者患者しなくて良いのが楽だった。

 

そうして今や、歩いて手術室まで行く時代。

手術室のドアがずらりと並ぶ廊下を歩き、まるで火葬場だな尻込みする。

 

中に入ると、すぐに手術台へ。

「えっ!?狭くね?」

驚きの狭さ。

家の父ちゃんもこれなの?

曙も?

猪木も?

手術中に、落ちたりしない?

その答えは知らぬまま。。。

 

「よーし、頑張るぞー。」

なんて思いましてね。

『武田さ~ん、終わりましたよ~。』

 

ってその間、約2秒!

確か5時間はかかったはずの手術、麻酔の力って凄いのね。

⑤ 賑やかな病室

子ども達を児童養護施設に預け、なだれこむ様に入院。

その日の病室は術後の患者さんや看護師さんの出入りが多く、挨拶をしそびれてしまった私。。。

「奥の女学生さんは、どうしたの?」

と、病室が落ち着いた頃、澄んだ声が聞こえた。

これって間違いなく私に言ってる。。。

カクカクシカジカ、私は女学生ではないことも含め説明した。

そうして、同じ大腸がんってことで盛り上がる(笑)

 

澄んだ声の女性は、料理屋の女将さん。

どおりで声が通る訳だ。

「人はがんでは死なないわよ。寿命で死ぬの。」

と、スッパリ言ってのけていた。

 

もうひと方、超ご高齢のご婦人は「(亡くなった)主人がね、まだ来るな。まだ来るなって、夢で言うの。」と。

なんてあったかいお話かと思いきや、「隣にね、知らない女の人がいるんだから、あちらでよろしくやってるのよ。」と、笑っている。

 

こんな若造ではどうしたって真似できない。年齢を重ねるって素晴らしい!

取り敢えず握手してもらう私(笑)

 

そこに後日入院してきた70代現役美容師さんが加わり、大腸がんの女4人は、とにかく毎日賑やかに過ごし、退院後は女将さんに漬物を習ったりしてね。

漬物ってなんて素敵な食文化なのだ~(* ´ ▽ ` *)ノ

④ 大腸切除 決定

内視鏡で切除したがんの組織検査の結果が出た。

リンパ転移はないものの、根が深かったらしく断端検査の結果が陽性だった。

大きな心配はないが、やはり気になると言うМ先生。

「大腸を切除したほうが再発率がは下がりますが、手術なので体には傷が付きます。」と、М先生らしい気遣い。

私には一つだけ気がかりなことがあった。

「先生、私が気になっているのは、この若さなんですけど。先生ならどうしますか?」

 

この時、私は36歳。

がん患者としては、間違いなく若い。

 

うなずきながら聞いている先生。一瞬どこかを見つめ。。。

「うん。僕なら切ります。」

 

その一言で決まった。

 

「それじゃ、先生、夏休みに。」

と、答えると焦る先生(笑)

「えっ!?良いんですか??」

 

出来るときに出来ることをしないで、後から皆に迷惑をかけたくはない。

先生なら切るって言ったじゃん(笑)

 

なーんて余裕のあるように見える私だが、入院は7日~10日とのこと。

頭の中は子ども達をどうすれば良いのかと、そればかりぐるぐると巡り、診察を終えた私は、そのまま家へ帰らずに児童養護施設へ向かった。

③ 内視鏡手術

子ども達を知人にお願いして、1泊の入院。

ラッキーな事に腕の良いM先生に診てもらえた私は、前回の内視鏡(大腸カメラ)で何の苦痛もなかったため、今回の内視鏡手術にもなんの不安もなかった。

そうして、悪性腫瘍の大きさや私の生活状況を配慮して、入院しての手術だった。

リラックスした状態で内視鏡での切除手術。パチンコ玉みたいなポリープを見て、頭の中で軍艦マーチが流れているうちに手術は終わった。

 

麻酔でぼーっとしている私を迎えに来てくれたのは、偶然にも顔馴染みの看護師さん。

初めて大腸カメラ検査を受ける私に、まるで母親の様に、検査食の作り方を教えてくれた彼女の顔を見ると、ホッとした。

 

「まん丸のポリープだったの」と、私が言うと、「それは良かった。いびつな形よりもきれいな丸の方が、なんだか気持ちが良いじゃない。」

そう言って、二人で笑いながら病室に戻った。

 

この日も次の日も、日ごろの寝不足を補うかの様に私は昏々と眠っていた。

数年ぶりに自由な時間が出来るのだからと、抱えて行った本には全く手を付けることも出来なかった。

 

自宅に帰ると、知人が子ども達を連れて来てくれた。

一晩離れると言うことをきちんと伝える事が出来なかったため、胸いっぱいに不安を抱えた幼い憲宗の頭には、円形脱毛症が出来ていた。

ごめんね。。。

 

後日行った床屋さんでは「お兄ちゃん、心配事があったんだねぇ。」と言われ、私の胸はチクッと痛んだ。