ちゃんと今を生きてるかい?

耳が聞こえず言葉を持たない息子が教えてくれたこと。「未知数なぼくたち」絵会話アーティスト武田憲宗の活動や家族の日常を記録。金髪で、がんサバイバーの母ちゃんは気合を入れて子育て中。

○○新聞襲撃事件 後編

しばらくして帰宅した父ちゃん。

とりあえず笑ってるところを見ると、無事に解決したようだ。

 

で、落ち着いて話を聞いてみる。

 

その男は単なる新聞勧誘員だったそうだ。

我が家のピンポンを押したと同時にライトに浮かび上がった会社の名前が目に入り、パニックになったらしい。

 

私たちは小さな会社を経営している。

その男は「○○興業」という社名を見て

 

「8・・893???」

 

と思ったそうだ。

「興業」と付けば、みんな893なのか?

とは言え、父ちゃんの顔は前科者。後ろ姿も前科者。シルエットも前科者。

(優しいんだけどね)

 

で、逃げたわけだ。

ダメでしょう。

ダメですねー。

 

父ちゃんが見たインターフォンの画面は、逃げる男の姿を映していた。

我が家はマンションの3階。

こんな時代にピンポンダッシュだなんて、しかも必死に逃げてる姿を見たら、何か悪い事をする奴に違いないと思うのは当然のこと。

家族を守るため、命がけで犯人を確保した!!

かっこいいぞ!!父ちゃん!!

 

ところが、交番では

「いくらなんでも、ここまで叩かなくても。。ねぇ。。」

と、警察官。

 

骨が折れて、鼻血が止まらない新聞勧誘員。。。 ←(ごめんねー。でも、逃げなきゃこんなことにはならなかったのに。) 

 

高校時代は相撲レスラーだった父ちゃん。

アルプス一万尺で、私を突き飛ばした父ちゃん。

吹っ飛んだ私は、ローボードのコーナーに背中を強打したっけ。。。

懐かしい思い出。

柔らかくて軽いものが苦手な父ちゃん。

豆腐を箸でつまむのは、苦手。

 

そうして、道路一面に散らばった小銭は魔法のように一瞬でなくなり、踏んだり蹴ったりの新聞勧誘員。。。

どうなったのか詳しくは、ここには書けないって言うね。

残念❗❗

○○新聞襲撃事件 前編

かれこれ10年近く前の出来事だろうか。

薄暗い夏の夜。

帰宅したばかりの父ちゃんは、子ども達の「お帰り攻撃♡」を受けていた。

「ピンポ~ン♪」

と、来客を知らせる音。

対応は、たまたまインターフォンの目の前に立っていた父ちゃんにお任せした。

が!!

インターフォンの画面を見た途端、無言のまま、ものすごい勢いで自宅を飛び出した父ちゃん!

何が起きたのかわからない私たち。

 

ダン!!! 

ダン!! 

ダン!

 

と、階段を降りる音が響く。

ここはマンションの3階。

慌てて、部屋の窓を開けて外を見た。

 

先に玄関を飛び出して来たのは見知らぬ男。

襟首を捕まえた父ちゃん。

 

と 「てめぇ!!誰よ!!」

男 「すいません!すいません!!」

と 「何しに来たのよ!!」

男 「すみません!」

 

心臓がドキドキする。。。

格闘技は嫌いじゃないけど、リングサイドで見守る妻の心境とはこんな感じなのか。

 

道路に飛び出し、もみ合っている2人。

と、男が手に持っていたハンドバックを道路に投げ捨てた。

飛び散る大量の小銭!!

 

ジャララララーーーーーーン!!!!

 

まさかの、さい銭泥棒!? 

 

その隙に逃げようとした男は再び父ちゃんに捕まり

「警察行くぞ!!」

の声とともに自宅裏の交番に向かい、2人の姿は見えなくなった。

 

何がなんだか全くわからない私たちは、ドキドキしたまま、言葉少なにリビングで父ちゃんの帰りを待った。。。

特別支援学校 ④ 転学

ボスの一言から始まった転学計画!!

異端児的な彼女の存在、彼女に憲宗を預けてみたいと思っていた。

だからと言って、幼稚園からストレートで特別支援学級へ通うのは厳しかったし。
なにせきちんと椅子に腰かけているところを、あまり見たことがない。。。
プールを楽しんだあとは日向で昼寝しちゃってるしね、先生が気がつくと園庭のフェンスに登ってる。。。(← けっこう高いって言う)
まだまだ「人間」と呼べるには遠かった。。。

そんな憲宗を特別支援学校での環境が「人間」らしく成長させてくれたおかげで、今の憲宗ならボスに託せると。私の中で転学が現実的になった。

 

幼稚園での1年間、そして特別支援学校での1年間は大きなステップだった。

特別支援学校の担任K先生は憲宗に接するその感覚が、完璧だった。

厳しさも、優しさも。甘やかしすぎることなく憲宗自身をしっかりと認め接してくれた。

これよ、これ!これー!!
私が憲宗に求めていた「小学校生活」とは!!これなのよーー!!

サポートするN先生は、憲宗のボケに完璧なほど突っ込みを入れてくれるおかげで、笑いが絶えなかった。

そして、エネルギーの塊みたいなコーディネーターのМ先生。

今でも私たちをサポートし、転学の時にも私の背中を強く押してくれた。

みんな淋しいねーと言いながらも、憲宗の将来を考え笑顔で送り出してくれた。

反対していた唯一の先生の言葉もまた、私たちを思うゆえ。

なぜなら、前例がなかったのだ。

支援級から支援学校への転学は当たり前にあるものの、その逆というのは長い歴史のなかでも初めてだったそうだ。

ゴクリ。

事実を知って、改めて気が引き締まった。

 

最後の日、全校生徒の前で立派に挨拶した憲宗。

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なんせ目立つの大好きだから。超優等生(笑)

普段からやれよ。

 

教室で、お友達や先生にもお別れの挨拶。

スクールバスが出て、静かになった校舎をあとにしようとしたら。。。

たくさんの先生、職員の方が集まって手と手を取り、突然!私たちの目の前にアーチが出来た!!

「頑張れー!!」

「頑張れー!!」

突然のことで堪える間もなく、涙が溢れた。

一番大きな声で送り出してくれたのは。。その声の主は、最後まで反対していたあの先生だった。

 

ありがとう。

私たちの味方はこんなにたくさんいるんだ。

特別支援学校 ③ 転学

以前 ② まで書いていたと言うのに。。特別支援学校についてのブログは間が空いてしまった。

懐かしいなー。「20世紀少年」(笑)

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あれよあれよと話が進んだ、憲宗の転学。

はっきり言って、私の頑張りで手に入れた と声を 大 にして言いたい!!

せっかく地域に溶け込むように育ててきたのに、ここで忘れられてたまるかと半ば意地になって地域の子ども達と絡むように行動した。

若干ストーカーちっく。

 

姉2人がいる事は恵まれていたと思う。

小学校の行事やらなにやら、全て把握してるからね。

 

午前授業の日は午後から近くの公園に行って、一緒に遊んだ。

参観日には憲宗を連れて行った。

いきなり教壇に立ち、教室ジャックは当たり前。

子どもたちが挙手する様子を見ると、手の甲を前にして人差し指を突き上げる。

子ども達も、周りの保護者も 「あ~見たんだ」 と、軽く吹き出す。

そう、2日前ロードショウは『20世紀少年』。

でもね、いじめについての授業中だから(汗)

トモダチ なんてやってる時じゃないから(汗)

 

まぁ、簡単に忘れられるほど印象の薄い子ではないのだが。。。

授業が終わると、次女が憲宗を抱えて教室に入る。

「弟なんだ!耳が聞こえないの!!」

 

恥ずかしい思いも、嫌な思いもいっぱいしてきたはずのに、それでも自分の弟だと堂々と紹介している姿は、素直に嬉しかった。

隠しながら育ててたまるか。

憲宗が裸で叫ぼうがおしっこ攻撃をかまそうが、下を向かずに育ててきて良かったとこの時ほど思ったことはない。

 

そして、帰り際に特別支援教室のボスからお声がかかる。

「うちにこないか?」

と。

 

ん??

スカウト(笑)???

まさかのテレビ東京! 密着取材!! 後編

迎えた取材日。

ほんのわずかな打ち合わせを済ませ、先ずは手話サークルへ。

放送ではカットされていたけれど、私の日常を撮影したいとのことで手話サークルでの学習風景も撮影していた。

帰宅して私のインタビュー。

子ども達の話に、目を赤くするプロデューサー。

カメラが止まると鼻をかむ取材スタッフ。

今日初めて会ったのに、どんどん心が近くなる。

 

そうしていよいよ憲宗のお迎え時間(笑)

予想通りのリアクションに爆笑のスタッフ。

ラムネの入ってたマイクを片手にご機嫌で自宅までしゃべりっぱなしの憲宗。

かばんを置いたら公園でひと遊び。どうやら今日は、熊撃ちするってよ。

 

そうして夕方、張り切ってインタビューを受けた父ちゃん。

残念ながら、オーーーール カットォォォォ(爆)

それから次女が帰宅。長女も帰宅。

緊張しながらインタビューを受けてくれて、ありがとう。

そうして夕飯の家族団らんシーン。

ご飯支度は前日に仕込み、ご飯にかけるだけのイクラ丼でごまかした。

テーブルを囲むとお祈りを始める父ちゃん。爆笑の取材クルー。

ちょっと!大家族の日常じゃないんだからさ!一応テーマはがんだから!編集大変だろう!と、冷や汗の私。

 

そんなこんなで撮影終了~。

平日の取材なので7時を目処に切り上げて欲しいと、前もってこちらから伝えていたのになんだか淋しい。 

終わっちゃったー。

終わっちゃったよー。

なんて楽しい一日だっただろう!!!

そうして感じた子ども達の成長!!!

 

「かーちゃんががんになって、どう思ったの?」

なんて、改めて聞くことなんて一度もなかった。

内気な二人が「構わないよ」と言って、自ら受けてくれたインタビュー。その姿に逞しさも感じた。

当時の怖さを思い出して、涙目で答えていた長女。

幼かった次女は「別に、平気だった。」腰を抜かすような予想外の答え。

 

そうか。

でもそれは強がりでも、嘘でもないのかも知れない。

不安で怖くてどうしようもない子どもたちに、たくさんの人が寄り添ってくれた。

その小さな心が孤独を感じないように、たくさんの、たくさんの人がまるで家族のように接してくれた結果が

 

「お母さんががんになっても、乗り越えられない現実ではない」

 

そう、物語っているんだと。

だから、子どもたちはトラウマを抱える事もなく「平気だった」と言えるんだろうと思えた。

やっぱり人の力って、とてつもなく大きい。

そしてとってもあったかい。

まさかのテレビ東京! 密着取材!! 前編

とにかく、それは突然だった。

最初のメールが届いたのは水曜日の夕方。病院スタッフから。

その時点で、私の心は取材を引き受けようと、決まっていたんだと思う。

偶然にも次の日は私の術後5年目の診察日。クリアなら卒業。

結果は大丈夫とは思いながらも、まずは診察を終えてから返事をしようとご飯支度を続けた。

 

翌日、無事に検査はクリアして、そのままメールの送り主であるスタッフを尋ねた。

もう5年も経っている患者では、興味ないかな??

がっつり治療中の患者さんを探しているのかもしれないしね。

スタッフには引き受ける事と、私では役不足だと局から断られるかも知れないと言うことも伝え、その日はそのまま憲宗の参観へ向かった。
今日はプール授業。一緒に泳ぐのだ―♪

 

テレビ局の担当ディレクターからメールが入ったのは、金曜日の夕方だった。

憲宗への伝え方、告知の仕方が今まで聞いたことがない例だと、是非とも取材したいとのことだった。

そして、次の水曜日には病院へ取材に行くので、前日の火曜日か後日の木曜日に取材したいとのことだった。しかも、一日を密着。。。

 

「えっ!?」

「あと、4日しかないの???」

「大掃除、間に合う???」 ← これ一番重要!

 

ばかだな、私。

ばかは死んでも治らないって、あれってホントなんだと痛感。

引き受けちゃったよね。

 

そうして、我が家全国放送のための大掃除と来て、ここで大活躍したのはまさかの父ちゃん!!
先頭切って大掃除!!

なんたって年末の大掃除に奴が参加したのは、数年前の1度限り。

子どもが床に水をこぼしたら、扇風機で乾燥させる。。。

そんな奴ですからねー。

こんだけ頑張ってくれたら、これまでのことはチャラにしてあげようか?
いやいや、このぐらいで騙されんぞー、なんて思いながらもケルヒャー大活躍で、着々と大掃除は進む!!

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